”憶える”

生理は恥ずかしいものなのか

女性には生理がある。女性だけが持つ"妊娠をして赤ちゃんを育てる場所"を整える為にも必要なイベント。
それなのに生理に対して恥ずかしさや後ろめたさを持つのは、これまで生きてきた中で無意識のうちに社会の生理に対するイメージが刷り込まれていたからなのかなと思う事がたまにある。

 

過去にお手洗いにエチケットボックスが無かった職場で働いていて、力仕事も伴うし男性も多いとは思ってたけど、それが無い時点で女性の配属がほとんど無い店舗なのだと認識できた。
当時、女性の先輩にその事について相談をしてみたら、こう答えが返ってきた。
「気付いているけどなかなか言い出せていないまま時間が過ぎていっちゃってる。」と。
勇気を振り絞って上に相談してみようと決意はしたものの、「男性にはなんとなく言いづらいし、どう言えばいいのか分からない・・・」と、そのまま怖気づいて、結局言い出せなかった。

 

その職場は短期間で辞めてしまったから今はどうなってるのかわからないけれど、あの時に私に言い出せる勇気があったなら女性の先輩も助かってただろうし、今後入ってくるであろう女性たちも当たり前のように使えていたかもしれない。

 

ただ、考えてみれば「男性ばかりの職場でそこに気付くのってなかなか難易度が高いのでは?」「男性同士でも男性から女性に対しても言いづらいデリケートな話題になるのでは?」とも思った。
なんなら、男女間で温度差があるのは当たり前のことで、そこから想像力を働かせてより生活がしやすい環境を作る為に女性への生理の知識だけじゃなくて、男性に対しての生理の知識も伝えていく必要があるんだろうし、それをどう発信すれば正しく知識が定着するんだろうと考える。

 

結局、「どう発信すれば〜」に続く話を広げられていないけれど、生物学上の女性として20数年間生きてると当たり前すぎて考えてこなかった事を改めて考えてみるのは、自分の性を受け入れる上でも大切。