テロルンとルンルン
この映画を知ったのは、もともとファンで普段からよく聴くアーティストの日食なつこさんがきっかけだった。
ある時、SNSで映画の主題歌を歌うとのことで、日食さんの音楽がどのように映画と合わさるのかが気になって、オンラインで鑑賞した。
しかし、トラブルが発生。
冒頭10分を見ることができず、ラストシーンまで作品の世界に入り込めないまま終了。後味が良いとは言えない1回目だった。
その後、全国の映画館での上映が決定したとの知らせを聞いて、即座に鑑賞券を購入。評判が良く、以前から行ってみたいと思ってたアップリンク吉祥寺にて2回目の鑑賞。
まず、冒頭で日食さんの曲とともに広島の風景が映し出される。自然と作品の世界観に入り込む。
この映画全体で言えることだが、とにかく終始映像が淡く、そして美しい。この町に行ってみたいとさえ思わせられた。
テロルンが引きこもるガレージは薄暗く冷たく思えるけれど、その対比も良かった。
1回目を見逃していた私は最初の日食さんの曲が最後の最後に効いてくるとは思ってもいなかった。
物語は淡々と、沸点は低いがじわじわと熱を保ちながら進んでいった。
その中で印象に残った場面がいくつかあったため、書き残す。
- シーン18
下校時間に廊下に現れる瑠海が歩きながら補聴器を耳から外し、外の音がどんどんとぼうっとして消えていく。瑠海の険しい表情とともに外との世界を遮断しているように、たった独りの世界に入り込んでいるように感じた。
ただ、外の音に一切の意識も向けずに前を向いて歩いていく瑠海の姿が私には勇ましく、かっこよく見えた。音のない世界は私には想像もつかないし、きっと耐えられないから。
- シーン33
瑠海のおもちゃを動かし、少し「アホらしい」と言わんばかりの表情と笑い方をしてから、寂しいような悔しいような切ないような、いろんな感情がごちゃまぜになりながら泣き始める。そんな繊細な感情描写ができる岡山天音さんの表現力に心がすべて持っていかれた。ただ、ただ、すごいとしかならなくて、というかそれ以外の語彙力を持ち合わせていなくて、なんだか悔しい。
- シーン39
類が瑠海の引っ越しを知り、瑠海の元へ向かう途中に地元の警官に町の方向を聞いて走り去る場面。
警官さんの類への言葉の伝え方が強くも温かく感じてぐっと来た。きっとあの薄暗いガレージにずっとこもっていた類が息を切らしながらも懸命に何かに向かっている姿に驚きと応援したい気持ちみたいなものが込められているようにも思えた。
- シーン40
類が瑠海とタクシーの窓越しに再会し、直すことができたおもちゃを見せる。走り去るタクシーから顔を出して瑠海が「ありがとう」と叫び、一人になった類が最後に太陽を見上げながら「こんなに眩しかったっけ」と呟いて、泣く場面。
最初の方にも書いたけれど、ここで日食なつこさんのvaporが流れて、涙腺が決壊した。少し濁っているような空模様から太陽の光が差し込む映像が映し出されて、そこにvaporの歌詞「もう少し浴びたら雲の切れ間へ行こう」が被さってくる。最後の最後にしてやられた感がある。
空模様と類の心情がリンクしているようできっと類はこれから雲の切れ間の先(心の扉を開けた先?)へ前を向いて一歩一歩歩んでいくんだろうという希望を残してもらった。
・・・最後のシーンはとにかく涙で前がぼやけた。
その後にエンドロールで流れるおとぎ話の少年少女の歌詞の柔らかくて優しさに溢れた歌詞と歌声に包まれて、心地よい余韻に浸りながら見終えられた。
1回目の未練があってからの鑑賞だったけれど、諦めずに見に行って本当に良かった。オンラインで満足感を得ていたら、もしかしたら見に行っていなかったかもしれない。
映画館で鑑賞して思ったのは作品に入り込める環境は大切だということ。
オンラインだと手軽だし、どこにいても見られるけれど、生活音や周囲にどうしても意識が持っていかれてしまって集中力が切れてしまうから(そもそも自身の集中力の持続性の問題もありそう)、大きなスクリーンだけが用意されている空間は居心地が良い。
そんな映画館の良さに改めて気づけて良い映画鑑賞になった。
おとぎ話の「少年少女」、もう数年前の映画でこの映画の為だけの書き下ろしとのことだけど、音源化してくれないかなあ・・・。