”憶える”

答えがないこと

忙殺までは行かずとも、頭の中がごちゃ〜〜っとなっていることがしばしばな最近。

 

休みのタイミングが非常に良くないので、来週末まで休みが無い。
早めに出勤、早めに上がりのシフトが多いことが唯一の救い。それでも残業するとあまり変わりなくなったりもするんだけれど。

 

上で書いている忙しさはきっとタスク処理の方法をもう少し効率的に、そして頭を使わずに仕組み化していけば改善される部分も多いような気がしてる。休みは会社がどうにかして、最近割と改善したけど。

 

日々の仕事に追われていると感じないけれど、就寝前とか一呼吸つけられる時間にふと「何のために働いているんだろう」「何のために生きているんだろう」とかそんな哲学的なこと、答えがなかなか出てこないことを考えようとする。

 

「何のために仕事」をしてるだろう。
生きるため?市場価値を上げるため?お金のため?自分に自信をつけるため?自分の存在を誇示するため?社会貢献のため?
小さい頃から一本筋が通っているわけでは無いし、もやの中にいるけれど、今は生きるためが一番近いかもしれない。
ここはもう少しブラッシュアップしていきたいところ。

 

「何のために生きる」んだろう。
これは人生を楽しむためだろうと変に楽天的な部分がある私は思うんだけれど、他に挙げるならば許したくないなぁと思っている人よりも幸せに暮らすためかもしれない。
「お前よりも幸せに生きてるぞ」と見せつけたいと大人になっても思う。負の感情は時に味方になる。今はそれに引きずられることも多いけれど。
あとは最近いとこと会う事があって、遊び相手として気に入ってくれているようで嬉しいんだけれど、「この子が大人になっていく時に頼りたいと思えるように生きよう。」とふと思った瞬間があって、個人的にはすごくフィットした感情だった。
いとことはいえ自分の中に愛情があるんだと実感が出来た。これは大きい変化。

 

こんなことばかり考えていても仕方のないことかもしれないけれど、こうやって目的を一つずつ、少しずつかき集めていったら、自分の輪郭がもっとはっきりしてくるんだと思う。

 

スタートダッシュは遅いような気がするけど、まだまだこれから。